オウム死刑執行 根源の疑問解けぬまま
多くの国が死刑廃止に向かうからと言って、死刑執行の実態を国民に詳細に伝えなければ、死刑存続の是非を議論できないわけではない。 犯罪集団は、なぜ犯行に及んだか、なぜその暴走を止めることができなかったのか、などの根源的な疑問の解明努力は必要だが、死刑制度を廃止したからと言って、それが解明されるわけではない。 このことについては、死刑制度や死刑囚とは別に、単に政府任せにせず、我々みんなで考えていく必要がある。
死刑制度については、死刑判決を下す条件を狭めるような運用にするよう改革すれば良いことであり、制度そのものの廃止には慎重であるべきだ。 今回の一連のオウム事件に関しては、松本智津夫の死刑については当然としても、他の実行犯については更生の可能性も考慮して、死刑判決には慎重であっても良かったのではと考えたりする。
オウム事件が投げたテーマに、宗教団体の犯罪の取り締まりの難しさもあった。 安易な取り締まりは、宗教弾圧になり、遠慮して放置すると宗教への偏見が増大してしまう。 学校やスポーツ団体に対しても言えることだが、一般宗教団体に対しては、警察は、犯罪と思われる行為に対しては、特別な偏見や特別な忖度もせず、一般社会と同様に法に則って毅然として対応すべきで、世論もそれを支持すべきだ。
警察の動きが悪い背景には、マスメディアが代表とする世論への過剰な忖度のための、家宅捜索や容疑者へのハードルの高さがある。 容疑者即被告人、被告人即有罪という図式を前提とした捜査方式にも、警察対応の鈍さに影響しているので、警察・検察・裁判所・メディアの意識改革が必要だ。
これを機会に、犯罪捜査の在り方や刑罰に限らず、法制度にも問題がないとは言わないが、それより行政側の運用の仕方について大改革を促すべきだ。
朝日新聞 社説:「オウム死刑執行 根源の疑問解けぬまま」