「改元」を考える 時はだれのものなのか

Last-modified: Fri, 29 Mar 2019 23:05:25 JST (1872d)
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(2019.3.21)
 もうすぐ新たな元号が発表されるが、多くのメディアでは「平成最後」とか「平成30年間」といった、一つの時代が終わるとか、新しい時代が始まるとかの表現がよく使われている。

■統治の道具だった
 明治以降、一代の天皇に一つの元号という「一世一元」の仕組みも出来ているので、天皇陛下が新しく即位されることで改元されるわけだが、中国など他国の事例は別として、天皇陛下を象徴として迎えている日本での改元は、日本の象徴が変わるということを意味する。 ちなみに、一般に西暦と言っているのは、キリスト教の教祖の生誕を紀元としているが、なぜか、宗教を気にしない日本というか、自虐止観の日本では、平気でキリスト教暦も併存している。

■分かれる意識
 今月の朝日新聞の世論調査によると、日常生活でおもに使いたいのが新しい元号だと答えた人は40%、西暦だと答えた人は50%だったそうだ。 天皇陛下を象徴とするより、キリストを象徴とする方が若干多いというが、お得意の外国人に合わせよう精神なのだろう。 そのうちに日常使用言語も、なぜ英語にしないのかという声が上がってくるのだろうか。

■自由な思考とともに
 新元号で呼ぼうが、西暦で呼ぼうが、個人の自由だという考えもあるが、個人的には、象徴天皇が変わるごとに呼び名を変えるのは面倒であり、もはや、これからは、スマホに頼らなければ、50年前と言われても、何年かすぐには答えられない時代がやって来る「一世一元」には正直抵抗がある。 キリスト教徒でもない我々が、キリスト生誕を紀元とするのも抵抗があるので、初代天皇を紀元とする「和歴」を使いたいのだがいかがなものか。 少なくとも、象徴天皇の「一世一元」か、キリスト教歴かの二者択一は止めてほしい。

 単なる元号の区切りにそれほどの意味があるとも思えず、単にマスメディア戦略に載せられているだけだと思っていたこともあったが、少なくとも昭和の後半30年間と、平成の30年間とでは大きく違っていたことは歴史的事実だ。 昭和30年は、良き高度成長時代だったが、平成30年は、消費増税から始まる低成長時代で、国民が我がままの言いたい放題で、災害多発、中国・北朝鮮の跋扈を許すなどの忌まわしい30年間だ。

 昭和時代は、国民の象徴の天皇だった、平成時代は、国民にひざまづく天皇だったが、今度の天皇はどのような天皇だろうか。 希望的観測として、新しい時代は、悪しき平成時代を吹っ切る時代として、前向きに迎えたい。

朝日新聞 社説:「「改元」を考える 時はだれのものなのか