あいち企画展 中止招いた社会の病理

Last-modified: Thu, 29 Aug 2019 23:59:15 JST (1704d)
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(2019.8.6)
 国際芸術祭あいちトリエンナーレ2019の企画展「表現の不自由展・その後」が、開幕直後に中止に追い込まれたそうだ。 この企画展の目的は、理解できないというか、よく分からない。 「過去に公的施設などで展示が許されなかった作品を集め、表現行為について考えを深めようという展示だった」と言われても意味が分からない。 過去に許されなかったものが、今では許されるかどうかを試してみたかったということだろうか。 過去に許されなかったことを不服として、改めて問題提起したかったということだろうか。

 考えただけでも気持ちが悪くなる話だ。 施設側(役所)には、このことをどこまで伝え、どこまで了承をもらっていたのだろうか。 憲法での表現の自由が認められているとしても、国民や市民の税金で作られた施設で、国民や市民を不必要に貶めるような醜い表現までも許可しなければならないのだろうか。 公の場所で堂々と日本を貶めるような行為を認めなければならないほど、日本での自由を保障しなければならないものだろうか。 いくら表現の自由があるといっても、それなりの良識があることが前提であるべきで、何でも良いというものではないと思うのだが。

 河村市長は関係者に謝罪を迫ったそうだが、そのような必要はないと思う。 彼らが自主的に謝罪するまで、社会的良識がない者として、一切の地元の公共施設での表現活動を禁止すればよいだけのことだ。

 韓国の法律に表現の自由が明記されているのかどうか知らないが、されているとすれば、韓国では韓国を貶めるような表現なども自由に許されるのだろうか。 明記されていないとすれば、そのような国の国民からとやかく言われる筋合いはない。 真偽のほどは定かではない話ではあるが、反日の内容であれば、事実と反する表現でも韓国では堂々と許されるとの話も聞くので、高度な表現の自由があるのかもしれない。

 表現の自由も大切かもしれないが、公の場では、見たくない、見せたくない者の自由も尊重してほしい。

朝日新聞 社説:「あいち企画展 中止招いた社会の病理