塚田副大臣 不見識極まる忖度発言

Last-modified: Tue, 16 Apr 2019 23:47:19 JST (1839d)
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(2019.4.4)
 塚田国土交通副大臣は、4月1日、北九州市であった福岡県知事選の自民党推薦候補の集会で、副大臣室を訪ねてきた自民党の吉田博美参院幹事長との忖度のやりとりを紹介し、「下関北九州道路」をめぐる事業化の調査費用を2019年度予算から全額国の負担としたことを、自らの手柄のように語り、翌2日には、特別な配慮があったことを撤回し、謝罪したそうだ。

 実際に忖度があったのかどうかは闇の中だが、事業化の調査費用が全額国の負担なのかどうか、そして、全額国の負担であれば、なぜそうなったのかを説明していただきたいものだ。 忖度があったかどうかは、客観的に納得がいくような予算措置がなされているか、忖度などによって判断にバイアスが掛かっていなかったかを見れば分かるはずだ。

 おそらく、忖度の有無は別として、客観的に説明できるような予算措置はなされていないと推察する。 統計的なデータを持ち合わせているわけではないが、行政措置には客観的に説明できないものは数多く存在していると思われる。 忖度は、よく言えば、いちいち言わなくても実施されるという効率の良さがあるが、悪く言えば、忖度される側も忖度する側も、自らの責任を回避しようとする含みを持つ。

 国会議員の忖度であったり、知事の忖度であったり、県議会議員の忖度であったりして、実際の決断の責任者が曖昧になり、何か問題が起こると、その責任が誰にあるのか、どのような判断の結果の間違いなのかの分析すらできないことが発生する。 これの最も象徴的なものが、先の戦争責任論だろう。

 権限のあるものが実行者に対して、忖度を期待するのではなく、判断には責任が伴うことを認識して、明確に指示を出す社会である必要があると思う。 責任者を明確にすることは、互いの関係をぎくしゃくさせるので、上司を思いやり忖度して実行し、うまくいけば上司の手柄、失敗すれば部下の責任というやり方は、そろそろ見直す必要があるのでは。

朝日新聞 社説:「塚田副大臣 不見識極まる忖度発言