自由な報道 民主主義の存立基盤だ

Last-modified: Tue, 22 Jan 2019 18:30:19 JST (1939d)
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(2018.8.18)
 民主主義の旗手を自任してきた米国の大統領が、フェイクニュースは「国民の敵」との公言に対して、米国の多くの新聞や雑誌が、一斉に「ジャーナリストは敵ではない」などと社説を掲げ、政治的な立場や規模を問わず、結束を示したそうだ。 一部のフェイクニュースを流すようなジャーナリストは「国民の敵」であると言っただけに対して、多くのジャーナリストが反応しているとすれば、自分たちもいつフェイクニュースを流すジャーナリストとして非難されるか分からないとの不安からだろう。

 問題があるとすれば、何がフェイクニュースか、どこがフェイクニュースかであり、いくら報道の自由があったとしても、フェイクニュースが国民の敵であることは事実だ。 仮に、政府の言うことをわざと曲解し、政府批判をしているとすれば、フェイクニュースと言われても否定できなくなる。 マスメディが自分たちの一部でも攻撃されると、一斉に団結して過剰反応するというだけのことではないだろうか。

 日本のマスメディアの不思議なところは、日頃、「報道の自由」を訴えながら、「政治的公平性」も守ろうとしていることだ。 「政治的公平性」を守るということは、「報道の自由」が制限されるということであり、「報道の自由」と「政治的公平性」は矛盾であり、どちらかを守ろうとすれば、どちらかを捨てなければならない。 この両方を守ろうとしているとすれば、それこそフェイクではないか。

朝日新聞 社説:「自由な報道 民主主義の存立基盤だ