即位の日に 等身大で探る明日の皇室
被災地への訪問を期待するということは、これからも平成時代と同様に災害を期待することを意味しないだろうか。 戦没者の慰霊が悪いことだとは言わないが、いつまでもこのような期待をすることは、韓国などにいつまでも戦争責任を求めてほしいと期待することに繋がったりしないだろうか。
新天皇には、暗い過去や未来ではなく、もっと明るい未来を祈念してほしいものだ。
■国民とともに考える
天皇陛下は、日本国民の象徴であり、それにより日本国民は統合されるのが本来の姿だ。 習近平氏じゃあるまいし、世界人類の象徴になろうとする必要はなく、天皇陛下を象徴とする日本国民が、世界にただ寄り添う必要もない。
一般的なブローバル化の妥当性はともかく、天皇陛下とグローバル化は相反する概念であり、天皇というナショナリズムを通した国際化をしていくことが、本来の国としてのあり方だ。
日本国民も、天皇陛下をただ象徴として位置づければよいのであり、天皇陛下は、何かと期待したり、求めたりする対象ではない。
■身構えず自然体で
平成天皇は、多感な10代をGHQ体制下で過ごされたが、今上天皇は新憲法下でお生まれになられ、日本の高度成長期を伸び伸びと育たれたと拝察するので、外国や国民に媚びることなく、伸び伸びと自然体で国民の象徴として生活していただければと思う。
日本国民はこのような天皇陛下を象徴としていただき、高度成長をしてきた強い日本の時代に原点回帰できればありがたい。
■先送りできない課題
皇位継承課題は政治が先送りしてきているように思われるが、早急に識者に検討していただいて決めていく必要がある。 最終的に制度化するためには政府の力が必要なのだろうが、本来、皇位継承は天皇家の問題であり、天皇家が最終決定する課題だと思うが、こんなことも天皇の政治介入と言われたりするのだろうか。
世界最古の王室の皇位継承を、グローバル化を根拠にしたり、他国事例を根拠にしたり、多数決で決めたりするようなことがあってはならない。
(「改元」を考える 時はだれのものなのか(2019.3.21))
朝日新聞 社説:「即位の日に 等身大で探る明日の皇室」