退位の日に 「象徴」「統合」模索は続く

Last-modified: Wed, 12 Jun 2019 22:47:08 JST (1782d)
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(2019.4.30)
天皇陛下がきょう4月30日をもって退位されるそうだ。

■支持された30年の旅
 陛下のお務めとしては、憲法上は国事行為さえ行っていただければ良いとなっているが、実際に国民が期待するのは「国民の安寧と幸せを祈ること」だと思うので、国防と同様、「裏・表の存在」というか、現行憲法の問題点の一つと思われる。

 退位の意向をお含みになった3年前の「おことば」は、高齢に伴う体力の衰えから天皇としての務めを果たすのが難しくなった自らが、天皇の地位にとどまることへの疑義を表されたものだったそうだ。 国民の安寧や幸せを祈るのにそれほど体力を必要としないというのは言い過ぎだと思うし、陛下のお立場を想像もできない者が批判的な発言をするのは控えるべきとは思うが、陛下の体力の許す範囲で、祈っていただければ良かったのではないかと思ったりする。

 国内外の方たちとの交流、被災地の訪問や沖縄など国内外の戦没者の慰霊等を重ねてこられているが、これらは非常にありがたいことではあるが、必ずしも陛下でなくとも良いわけであり、体力的に厳しいということであれば、摂政を置くなりすればよいことであり、退位の意向の背景にはならないと考える。

■判断するのは主権者
 「陛下発」の退位論議は、ある意味憲法違反であり、今回は良いとしても、今後、同じようなことが容易に行われるようになることが懸念され、政治的などの背景で陛下の退位がなされないとも限らない禍根を残すことになった。
 「日本国民の総意」という言葉をはき違え、多数決で、陛下の退位を促したり、皇位継承問題を解決したりしてはならない。

■政治が機能してこそ
 天皇陛下が、日本国民の総意に基いて、国民統合の象徴であるということは、その時々の民意によって、象徴であったりなかったりするということではなく、国民の代表者が行う政治も含めて、持続的に象徴であるということだ。

 憲法では、国民の自由や権利が保障されているが、国民により象徴とされている天皇陛下には、一般国民と同様の自由や権利はなく、国民の安寧や幸せを祈ると同時に、国民の象徴たりうるよう祈っていただく必要もある。 もちろん、国民はその祈りに応える義務はないかもしれないが、その努力を実感できるのが日本国民だと思う。
 それに応えようとしない政党などが、未だに堂々と日本に存在していることが悲しい。
(大嘗祭 異例の発言機に考える(2018.12.1))

朝日新聞 社説:「退位の日に 「象徴」「統合」模索は続く